2025年度 歴史総合,日本史探究 本試験 解答番号1

令和7年度(2025年度)共通テスト 歴史総合,日本史探究 本試験 解答・解説
第1問A-1
解答番号1

正解:3
配点:3

解説:

「あ」は、近代より前の中国やその周辺の国際秩序の説明なので誤り。
朝貢は皇帝に貢物(みつぎもの)を送ること。
冊封は皇帝が諸侯などを任命したり領地を認めたりすること。
周辺国は中国の皇帝に朝貢して、その代わりに支配権を認めてもらって冊封されたりした。

「い」は近代ヨーロッパで成立した主権国家体制の説明なので正しい。
独立国は他国に干渉されない主権を持っており、領土はその国のみが支配することとした。
17世紀の三十年戦争でのウェストファリア条約でヨーロッパの国際秩序となり、19世紀にはアジアなどにもその考え方を持ち込んでいた。

aは広州。
中国の清は18世紀に欧米の船の出入りを広州のみに限定した。
清は欧米に朝貢としての貿易を認めていたが、18世紀末にイギリスのマカートニーは欧米の秩序を持ち込もうとして失敗した。

bは上海。
上海の開港は、南京条約(1842年)で決められた。
南京条約は、アヘン戦争でイギリスが清に勝利して結ばれた。

2025年度 歴史総合,日本史探究 本試験 解答番号2

令和7年度(2025年度)共通テスト 歴史総合,日本史探究 本試験 解答・解説
第1問A-2
解答番号2

正解:2
配点:3

解説:

資料は日本の森有礼と清の李鴻章との会談記録をもとにしたもの。
「一昨年に台湾出兵」とあることから、台湾出兵の1874年の2年後、1876年のことだとわかる。
昨年とは1875年で、朝鮮との事件とは江華島事件のこと。
「この条約」とは日清修好条規のこと。

1871年、日本と清は対等な条約として、日清修好条規を結んでいた。
ただし、日清修好条規では清の属国である朝鮮など、対象の範囲について解釈がわかれる曖昧な内容になっていた。

琉球の漂流民が台湾で殺害されていた事件を巡って、1874年には日本が台湾を攻撃する台湾出兵が起こった。
これも台湾や琉球の所属が明確でなかったことから問題があった。

1875年には日本の船が朝鮮から砲撃を受けて武力衝突となった江華島事件が起きた。
1876年、日本から清に公使として派遣されていた森有礼は清側の李鴻章と会談をして、この問題について話し合った。
そして、同年、日本と朝鮮は不平等条約である日朝修好条規を結ぶこととなった。

選択肢1
誤り。
下関条約は日清戦争のときのもので、1895年に結ばれた。

選択肢2
正しい。
清仏戦争は1884年に始まった。
同年の甲申事変(朝鮮半島で起きたが日本も関わっている。)が清仏戦争とも影響しあっていることからも導ける。

選択肢3
誤り。
日本で外国人が居留地以外で自由にできるようになったのは、内地雑居になってから。
内地雑居は1894年に日英通商航海条約で決まり、1899年に始まった。

選択肢4
誤り。
日朝修好条規は日本に有利な不平等条約だった。

2025年度 歴史総合,日本史探究 本試験 解答番号3

令和7年度(2025年度)共通テスト 歴史総合,日本史探究 本試験 解答・解説
第1問B-3
解答番号3

正解:2
配点:3

解説:

アはイギリス。
穀物法とあることからわかる。
穀物法はイギリスの農業を保護するため、輸入穀物に高い関税をかけるものだった。
特にフランスのナポレオンがイギリスに対して貿易制限をした大陸封鎖令が解除されたことで、1815年に成立したものが著名。
しかし、産業革命が進んだことで工業品を輸出するために、イギリスでは関税をかけない自由貿易を推進するようになっていった。
そのようななかで1848年に穀物法は廃止された。

スペインなどの大陸諸国は国家として衛生政策を重視し、国際的な検疫を容認する傾向にあった。

イは貿易を妨げるべきでないということになる。
イギリスは自由貿易を推進したいので、検疫によって貿易をしにくくなることを懸念した。
また、コレラなどの疫病を水際で止めるためには検疫が有効。

2025年度 歴史総合,日本史探究 本試験 解答番号4

令和7年度(2025年度)共通テスト 歴史総合,日本史探究 本試験 解答・解説
第1問B-4
解答番号4

正解:4
配点:3

解説:

第一次世界大戦の終結は1918年。
第二次世界大戦が始まったのは1939年。


選択肢1
誤り。
イギリスは1902年に日英同盟、その後も三国協商などを結んでおり、孤立政策をやめている。
第一次世界大戦に三国協商側で参戦していることからもわかる。

選択肢2
誤り。
イスラエルの建国は第二次世界大戦後の1948年。
第一次中東戦争が始まった年でもある。
この前にはナチスによるホロコースト(第二次世界大戦中に行なわれていた。)を逃れてきたユダヤ人の移民が、大量にパレスチナに押し寄せていた。

選択肢3
誤り。
時期はあっているが、内容が誤り。
日本が国際連盟を脱退したのは1933年。
リットン調査団の報告の後に行なわれたが、対象は満州事変やそのきっかけとなった柳条湖事件だった。
盧溝橋事件は日中戦争のきっかけとなった事件で、1937年。

選択肢4
正しい。

2025年度 歴史総合,日本史探究 本試験 解答番号5

令和7年度(2025年度)共通テスト 歴史総合,日本史探究 本試験 解答・解説
第1問B-5
解答番号5

正解:1
配点:3

解説:

メモ1
正しい。
ミシシッピ号は九州の長崎に入港した後、一か月後に静岡県の下田に入港している。
周辺にコレラが広がるのには一か月以上かかっており、京都が最も遅い9月であることからもわかる。

メモ2
誤り。
京都が最も遅い9月であることから謝りであることがわかる。
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