2024年度 日本史B 本試験 解答番号11

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第2問B-5
解答番号11

正解:6
配点:4

解説:

アはb。
木簡は木の札で、書き込める量には限界がある。
荷札や伝票などに用いられ短期間で廃棄されたため、政治的な意図などで改変されることは考えにくい。

イはc。
『日本三代実録』は六国史の最後で、『文徳天皇実録』に続くもの。
9世紀後半の清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の時期が対象となっている。
cは866年の応天門の変のことで、この年に藤原良房が清和天皇の正式な摂政になった。
なお、dの藤原陳忠(ふじわらののぶただ)は10世紀後半の受領。

ウはf。
894年の遣唐使の停止後は、中国の唐や宋とは商人による民間の交易がされていた。
eの宋への朝貢はなかった。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号12

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第3問1
解答番号12

正解:2
配点:3

解説:

I
鎌倉時代前期。
1221年の承久の乱のこと。
北面の武士は平安時代後期に白河上皇が設置し、西面の武士は鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が設置した。

II
南北朝時代。
室町幕府の侍所が京都の市政権を得た。
段銭は室町幕府が守護に命じて行うようになった。

III
鎌倉時代後期。
悪党の活動が活発になったのは鎌倉時代後期。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号13

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第3問2
解答番号13

正解:3
配点:4

解説:

選択肢a
誤り。
永仁の徳政令は御家人が土地を取り戻すことを前提としており、本主が誰でもということではなかった。

選択肢b
正しい。

選択肢c
正しい。

選択肢d
誤り。
御家人以外が土地を取り戻したという主張なので、永仁の徳政令の本来の趣旨とは違っていた。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号14

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第3問3
解答番号14

正解:1
配点:3

解説:

Xはaの北畠親房。
南朝の公卿だった。
bの一条兼良は室町時代の摂政関白で、応仁の乱の後に将軍足利義尚の諮問に応えた『樵談治要(しょうだんちよう)』などを書いた。

Yはcの二条良基。
北朝の摂政関白だった。
dの宗祇(飯尾宗祇)は室町時代の連歌師で『新撰菟玖波集』を編纂、東常縁 から古今伝授を受けた。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号15

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第3問4
解答番号15

正解:4
配点:3

解説:

史料3
朝倉氏の分国法である朝倉孝景条々。
朝倉氏以外が勝手に城郭を築くことを禁止し、有力家臣は城下町の一乗谷に集まって住むこととしている。

史料4
今川氏の分国法である今川仮名目録。
今川氏は駿河国と遠江国(静岡県)の戦国大名で、家臣が他国の者と縁戚になることを禁止している。
Xに合致する。

史料5
武田氏の分国法である甲州法度。
喧嘩を禁止している。
Yに合致する。
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