2024年度 日本史B 本試験 解答番号1

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-1
解答番号1

正解:3
配点:3

解説:

下線aは764年に起きた藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱のことなので、cの時期になる。

藤原武智麻呂は藤原仲麻呂の父で藤原四兄弟の一人。
藤原四兄弟は737年に全員が天然痘で病死した。

その後に橘諸兄の政権となり、大仏が造られて752年に開眼供養会が行なわれた。

橘諸兄に代わって政治の実権を握った藤原仲麻呂は、祖父の藤原不比等が編纂していた養老律令を757年に施行させた。
藤原仲麻呂は恵美押勝の名を与えられ、太政大臣に相当する太師となった。

やがて道鏡が孝謙太上天皇(後の称徳天皇)に重用されるようになると、藤原仲麻呂は764年に乱を起こしたが敗死した。
乱の後、766年に道鏡は法王となった。

称徳天皇が亡くなって光仁天皇が即位すると道鏡は失脚した。
光仁天皇のときの780年、蝦夷の族長だった伊治呰麻呂が東北地方で乱を起こした。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号2

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-2
解答番号2

正解:5
配点:3

解説:

I
1510年。
戦国時代。
三浦の乱のこと。
応永の外寇の後も日朝貿易は復活して続いていたが、日本船の入港は乃而浦・富山浦・塩浦の三浦に限られていた。
日本人は三浦に居留地をつくり定住するようになったが、朝鮮側との摩擦が起きて蜂起した。

II
16世紀末
安土桃山時代。
豊臣秀吉による朝鮮出兵のこと。
1590年には活版印刷機がヴァリニャーニによって伝えられており、天草版(キリシタン版)などが出版された。
朝鮮出兵が始まると朝鮮から金属活字がもたらされた。

III
1419年。
室町時代。
応永の外寇のこと。
15世紀初めには日明貿易を重視した足利義満によって倭寇は鎮静化していたが、次の足利義持がは明との国交を絶っていた。
倭寇が活発化することを恐れた朝鮮は、倭寇の拠点とする対馬を攻撃した。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号3

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-3
解答番号3

正解:4
配点:3

解説:

Xは誤り。
史料1は1549年に六角定頼が出した楽市令。
紙に限定しているが、織田信長の楽市令よりも早く出された。
六角氏は近江国(滋賀県)の守護で南近江を中心とした戦国大名となっていた。
六角定頼は室町幕府の中でも権力を握っていて、美濃国(岐阜県)の美濃紙の権益にも影響力を持っていた。
この楽市令の対象は石寺新市のみ。
他の近江国・美濃国は対象外で、座の人以外が商売したら荷物を取り上げられるとあり、座の特権が認められている。

Yは誤り。
史料2は1575年に織田信長の配下が出した座の特権を認めた文書。
織田信長は楽市楽座が知られているが、ここでは大滝神郷紙座が持っていた税(諸役)を免除れる特権を以前のように維持させている。
越前国(福井県)では鳥の子紙のような高級紙が作られていた。
越前国の戦国大名だった朝倉氏は紙座の特権を認めており、朝倉氏を滅ぼした織田信長のときにもその特権を撤廃しなかった。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号4

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問B-4
解答番号4

正解:1
配点:3

解説:

アは「イエズス会の宣教師」。
1590年にはイエズス会のヴァリニャーニが活版印刷機を日本にもたらしている。
オランダ東インド会社は1602年の設立なので、15世紀後半にはまだなかった。

イは「鎌倉幕府の成立から中期までの時期を扱った史書である」。
『吾妻鑑』は1180年の源頼政の挙兵から、1266年の宗尊親王の追放までが対象。
もう一つの選択肢は『太平記』などのこと。

2024年度 日本史B 本試験 解答番号5

令和6年度(2024年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問B-5
解答番号5

正解:1
配点:3

解説:

Xはaの大槻玄沢。
bの緒方洪庵は幕末の蘭学者・医学者で、大坂に適々斎塾(適塾)を開いて福沢諭吉らを教えた。

Yはcの為永春水。
1832年に人情本の『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』を書いた。
dの滝沢馬琴(曲亭馬琴)は歴史を題材にした読本の『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』が代表作で、勧善懲悪物を書いた。
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