2023年度 日本史B 本試験 解答番号21

令和5年度(2023年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第4問5
解答番号21

正解:2
配点:3

解説:

選択肢1
誤り。
会話の始めの方に、家臣は主君の家の一員とみなすとある。

選択肢2
正しい。
村請制のこと。

選択肢3
誤り。
俳諧や川柳は武士だけの文化ではなかった。

選択肢4
誤り。
寄場組合(改革組合村)は関東の農村を統制するためのもの。

2023年度 日本史B 本試験 解答番号22

令和5年度(2023年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第5問1
解答番号22

正解:4
配点:3

解説:

Xはbの下関。
1864年の四国艦隊下関砲撃事件のときのこと。
aの鹿児島は、1863年の薩英戦争で攻撃されたが戦ったのはイギリスのみ。

Yはdの大久保利通。
薩摩藩の出身で、1873年に初代内務卿となった。
cの寺島宗則は、薩摩藩出身で、1873年に外務卿となった。

2023年度 日本史B 本試験 解答番号23

令和5年度(2023年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第5問2
解答番号23

正解:5
配点:3

解説:

I
1876年。
廃刀令と神風連の乱のこと。

II
1887年。
井上馨のこと。
鹿鳴館を建てるなど欧化政策を進めていた。
条約改正案で、外国人判事を任用しようとして反発を受けて辞任した。

III
1867年。
幕末にあった御札降り(おふだふり)のこと。
ええじゃないかにつながった。

2023年度 日本史B 本試験 解答番号24

令和5年度(2023年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第5問3
解答番号24

正解:2
配点:3

解説:

岸田俊子は明治時代に女性の権利を訴えた運動家。
『自由灯』は自由党の機関紙。

Xは正しい。
史料の前半に合致する。

Yは誤り。
1884年に国定教科書はまだなかった。
1902年に教科書疑獄事件があり、翌年に国定教科書の採用が決まった。
実際に使用されるようになったのは1904年から。

2023年度 日本史B 本試験 解答番号25

令和5年度(2023年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第5問4
解答番号25

正解:4
配点:3

解説:

第5問の冒頭のメモを参照しながら解く必要がある。

屯田兵は1875年から士族の受け皿として始まった。
1890年に平民にも広がった。

憲政党は1898年に自由党と進歩党が合同して結成された。
第一次大隈重信内閣の与党となったが、その年のうちに分裂して自由党系が名を引き継いだ。
1900年に立憲政友会に加わった。

ドイツで憲法調査をしていたのは伊藤博文。
1882年からドイツなどのヨーロッパを巡った。
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