令和4年度(2022年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-1
解答番号1
正解:2
配点:3
解説:
アは「苗字(名字)+名(個人名)」。
北条は伊豆の地名から取った苗字(名字)なので、名との間に「の」は入らない。
平政子の場合は、平は氏(姓)なので名との間に「の」が入る。
イは「近代国家の国民として把握する」。
明治時代の初期に戸籍を造るときに必要とされた。
徴兵や徴税のため国家が直接個人を把握しようとした。
2022年度 日本史B 本試験 解答番号2
令和4年度(2022年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-2
解答番号2
正解:4
配点:3
解説:
Xはbの源。
源義仲のこと。
平安時代末期、信濃国(長野県)の木曽で育ち木曽義仲と称され、挙兵して平家を都落ちさせた。
最後は宇治川の戦いで従兄弟の源義経らに敗れ、粟津で敗死した。
Yはdの足利。
関東公方(鎌倉公方)の足利氏のこと。
清和源氏の一族で、下野国(栃木県)の足利荘から取って称した。
足利尊氏の子の足利義詮の子孫は京の室町幕府の将軍となり、足利基氏の子孫は東国の関東公方(鎌倉公方)となった。
1438年の永享の乱で関東公方の足利持氏は幕府側に攻められ、翌年に自害した。
第1問A-2
解答番号2
正解:4
配点:3
解説:
Xはbの源。
源義仲のこと。
平安時代末期、信濃国(長野県)の木曽で育ち木曽義仲と称され、挙兵して平家を都落ちさせた。
最後は宇治川の戦いで従兄弟の源義経らに敗れ、粟津で敗死した。
Yはdの足利。
関東公方(鎌倉公方)の足利氏のこと。
清和源氏の一族で、下野国(栃木県)の足利荘から取って称した。
足利尊氏の子の足利義詮の子孫は京の室町幕府の将軍となり、足利基氏の子孫は東国の関東公方(鎌倉公方)となった。
1438年の永享の乱で関東公方の足利持氏は幕府側に攻められ、翌年に自害した。
2022年度 日本史B 本試験 解答番号3
令和4年度(2022年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-3
解答番号3
正解:5
配点:3
解説:
I
江戸時代中期。
近松門左衛門は元禄文化の人物で、17世紀後半から18世紀初めに活躍した。
II
江戸時代後期。
江川英竜は幕末の幕臣で、19世紀中頃に韮山代官になった。
ペリー来航後にも登用された。
III
江戸時代初期。
ウィリアム=アダムズは1600年にリーフデ号で来日。
徳川家康に登用された。
第1問A-3
解答番号3
正解:5
配点:3
解説:
I
江戸時代中期。
近松門左衛門は元禄文化の人物で、17世紀後半から18世紀初めに活躍した。
II
江戸時代後期。
江川英竜は幕末の幕臣で、19世紀中頃に韮山代官になった。
ペリー来航後にも登用された。
III
江戸時代初期。
ウィリアム=アダムズは1600年にリーフデ号で来日。
徳川家康に登用された。
2022年度 日本史B 本試験 解答番号4
令和4年度(2022年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問B-4
解答番号4
正解:3
配点:3
解説:
選択肢a
養育氏族の名前は日本独自で和風のもの。
それが消滅しているので、和風化の影響とは言えない。
選択肢b
正しい。
嵯峨天皇のときには唐風化が進んだことからもわかる。
選択肢c
正しい。
嵯峨天皇の子は源の姓を与えられて臣下となり、嵯峨源氏となった。
ちなみに系図にある源信は応天門の変のときの左大臣。
選択肢d
同じ漢字が使われていたら区別ができず、順番の明確化はできない。
第1問B-4
解答番号4
正解:3
配点:3
解説:
選択肢a
養育氏族の名前は日本独自で和風のもの。
それが消滅しているので、和風化の影響とは言えない。
選択肢b
正しい。
嵯峨天皇のときには唐風化が進んだことからもわかる。
選択肢c
正しい。
嵯峨天皇の子は源の姓を与えられて臣下となり、嵯峨源氏となった。
ちなみに系図にある源信は応天門の変のときの左大臣。
選択肢d
同じ漢字が使われていたら区別ができず、順番の明確化はできない。
2022年度 日本史B 本試験 解答番号5
令和4年度(2022年度)共通テスト 日本史B 本試験 解答・解説
第1問B-5
解答番号5
正解:1
配点:3
解説:
Xは正しい。
アメリカやイギリスとの戦争は太平洋戦争。
1941年12月8日からなので、名前の統計に影響するのは翌年から1945年の終戦まで。
そのころに勝の字の使用が多い。
Yは正しい。
元号が昭和となったのは1926年の年末から。
名前の統計に影響するのは翌年から。
そのころに昭和の昭や和の字の使用が多い。
第1問B-5
解答番号5
正解:1
配点:3
解説:
Xは正しい。
アメリカやイギリスとの戦争は太平洋戦争。
1941年12月8日からなので、名前の統計に影響するのは翌年から1945年の終戦まで。
そのころに勝の字の使用が多い。
Yは正しい。
元号が昭和となったのは1926年の年末から。
名前の統計に影響するのは翌年から。
そのころに昭和の昭や和の字の使用が多い。