平成30年度(2018年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問A-1
解答番号13
正解:4
配点:2
解説:
アは平頼綱。
得宗の御内人となり内管領になった人物。
霜月騒動で安達泰盛を倒したが、平頼綱の乱(平禅門の乱)で北条貞時に滅ぼされた。
三浦泰村は宝治合戦で北条時頼に滅ぼされた。
イは足利直義。
足利直義は足利尊氏の弟、高師直は尊氏の執事となっていた。
観応の擾乱は、始めは足利直義と高師直の争いだった。
後に尊氏・師直と直義の間の戦いとなった。
2018年度 日本史B 本試験 解答番号14
平成30年度(2018年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問A-2
解答番号14
正解:1
配点:3
解説:
選択肢1
正解。
選択肢2
月行事は室町時代になってから。
よって、誤り。
選択肢3
『十六夜日記』は鎌倉時代に成立。
よって、誤り。
選択肢4
酒屋への課税は戦国時代よりも前からあった。
よって、誤り。
第3問A-2
解答番号14
正解:1
配点:3
解説:
選択肢1
正解。
選択肢2
月行事は室町時代になってから。
よって、誤り。
選択肢3
『十六夜日記』は鎌倉時代に成立。
よって、誤り。
選択肢4
酒屋への課税は戦国時代よりも前からあった。
よって、誤り。
2018年度 日本史B 本試験 解答番号15
平成30年度(2018年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問A-3
解答番号15
正解:2
配点:3
解説:
I
1221年。
承久の乱の後に設置された。
II
1275年。
皇位の継承が、後嵯峨上皇の皇子の後深草天皇と亀山天皇の子孫に分かれたことが両統迭立につながった。
後深草天皇は弟の亀山天皇に皇位を譲ったが、亀山天皇は自分の子へと皇位を継承させた。
不満をもった後深草上皇のため、北条時宗が次の皇太子を後深草上皇の皇子とすることで両統迭立が定まった。
北条高時のときには、文保の和談(1317年)で両統の皇位継承の話し合いを促している。
III
1252年。
後嵯峨上皇の皇子、宗尊親王が鎌倉に行き将軍となった。
このときの執権は北条時頼。
第3問A-3
解答番号15
正解:2
配点:3
解説:
I
1221年。
承久の乱の後に設置された。
II
1275年。
皇位の継承が、後嵯峨上皇の皇子の後深草天皇と亀山天皇の子孫に分かれたことが両統迭立につながった。
後深草天皇は弟の亀山天皇に皇位を譲ったが、亀山天皇は自分の子へと皇位を継承させた。
不満をもった後深草上皇のため、北条時宗が次の皇太子を後深草上皇の皇子とすることで両統迭立が定まった。
北条高時のときには、文保の和談(1317年)で両統の皇位継承の話し合いを促している。
III
1252年。
後嵯峨上皇の皇子、宗尊親王が鎌倉に行き将軍となった。
このときの執権は北条時頼。