平成30年度(2018年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第2問A-1
解答番号7
正解:3
配点:2
解説:
アは近畿地方。
銅鐸は九州北部でも出土しているが、近畿地方が中心といえるだろう。
ただし、かつてあった銅鐸文化圏・銅矛銅剣文化圏という区分は使われなくなった。
イは稗田阿礼。
『古事記』の序に稗田阿礼が帝紀と旧辞を誦習したことが書かれている。
淡海三船は奈良時代の貴族で漢学者で、天皇の漢風諡号を撰進した人物。
2018年度 日本史B 本試験 解答番号8
平成30年度(2018年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第2問A-2
解答番号8
正解:3
配点:3
解説:
選択肢1
ヤマト政権に参加した豪族は、前方後円墳という共通した形の古墳を造るようになったとされる。
よって、誤り。
選択肢2
屯倉はヤマト政権の直轄地。
よって、誤り。
豪族の私有地は田荘。
選択肢3
正解。
選択肢4
公奴婢は賤民の一つ。
よって、誤り。
大王の側に仕えた豪族の子弟は舎人【とねり】。
第2問A-2
解答番号8
正解:3
配点:3
解説:
選択肢1
ヤマト政権に参加した豪族は、前方後円墳という共通した形の古墳を造るようになったとされる。
よって、誤り。
選択肢2
屯倉はヤマト政権の直轄地。
よって、誤り。
豪族の私有地は田荘。
選択肢3
正解。
選択肢4
公奴婢は賤民の一つ。
よって、誤り。
大王の側に仕えた豪族の子弟は舎人【とねり】。
2018年度 日本史B 本試験 解答番号9
平成30年度(2018年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第2問A-3
解答番号9
正解:6
配点:3
解説:
I
6世紀。
磐井の乱は527年に起こった。
継体天皇のときで、これより前には大伴金村が任那四県を百済に割譲している。
II
5世紀。
倭の五王が南朝の宋に遣使したこと、倭王武の時代がいつかを考えればわかる。
宋は420年に成立。
倭王武は『宋書』倭国伝では478年に上表文を送っている。
また、倭王武のこととされる獲加多支鹵大王と刻まれている稲荷山古墳出土鉄剣銘には辛亥年(471年)とある。
III
4世紀。
好太王碑文にある辛卯の年が391年であることからわかる。
第2問A-3
解答番号9
正解:6
配点:3
解説:
I
6世紀。
磐井の乱は527年に起こった。
継体天皇のときで、これより前には大伴金村が任那四県を百済に割譲している。
II
5世紀。
倭の五王が南朝の宋に遣使したこと、倭王武の時代がいつかを考えればわかる。
宋は420年に成立。
倭王武は『宋書』倭国伝では478年に上表文を送っている。
また、倭王武のこととされる獲加多支鹵大王と刻まれている稲荷山古墳出土鉄剣銘には辛亥年(471年)とある。
III
4世紀。
好太王碑文にある辛卯の年が391年であることからわかる。