平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問B-4
解答番号16
正解:4
配点:2
解説:
アは管領。
足利一門の細川氏・斯波氏・畠山氏が三管領。
執権は室町幕府ではなく、鎌倉幕府で将軍を補佐した役職。
イは奉公衆。
評定衆は鎌倉幕府で政治の合議を行なった役職で、室町幕府にもあったが有名事実化した。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号17
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問B-5
解答番号17
正解:3
配点:3
解説:
Xはbの油座が当てはまる。
大山崎油座のこと。
aの綿座は祇園社(八坂神社)の祇園社綿座などがあった。
Yはcの撰銭が当てはまる。
dの分一銭は分一徳政令で幕府に払う手数料のことで、借金額の十分の一などの額を納めた。
貸した者が分一銭を支払うと借金は残り、借りた者が支払うと借金が破棄される。
第3問B-5
解答番号17
正解:3
配点:3
解説:
Xはbの油座が当てはまる。
大山崎油座のこと。
aの綿座は祇園社(八坂神社)の祇園社綿座などがあった。
Yはcの撰銭が当てはまる。
dの分一銭は分一徳政令で幕府に払う手数料のことで、借金額の十分の一などの額を納めた。
貸した者が分一銭を支払うと借金は残り、借りた者が支払うと借金が破棄される。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号18
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問B-6
解答番号18
正解:1
配点:3
解説:
選択肢1
正しい。
中国の明や朝鮮は日本に倭寇を取り締まるよう求めた。
選択肢2
朝貢形式だったのは朝鮮ではなく中国の明なので誤り。
足利義満は朝貢形式の日明貿易を始めたが、義満の子の義持は明と断交した。(足利義教のときに再開)
選択肢3
輸出品と輸入品が逆なので誤り。
選択肢4
藤原隆信は室町時代の水墨画ではなく、平安末期から鎌倉時代の似絵の画家なので誤り。
如拙は「瓢鮎図」などの水墨画を描いた室町時代の画家。
第3問B-6
解答番号18
正解:1
配点:3
解説:
選択肢1
正しい。
中国の明や朝鮮は日本に倭寇を取り締まるよう求めた。
選択肢2
朝貢形式だったのは朝鮮ではなく中国の明なので誤り。
足利義満は朝貢形式の日明貿易を始めたが、義満の子の義持は明と断交した。(足利義教のときに再開)
選択肢3
輸出品と輸入品が逆なので誤り。
選択肢4
藤原隆信は室町時代の水墨画ではなく、平安末期から鎌倉時代の似絵の画家なので誤り。
如拙は「瓢鮎図」などの水墨画を描いた室町時代の画家。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号19
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第4問A-1
解答番号19
正解:3
配点:2
解説:
アは近松門左衛門。
元禄頃の浄瑠璃や歌舞伎の作者で、作品名からもわかる。
井原西鶴も元禄頃の人物だが、浮世草子の作者で、『好色一代男』や『日本永代蔵』などを著した。
イは明。
明は1644年に滅び、その後は清が中国を統一していった。
鄭成功は明の遺臣で、台湾で清に抵抗し続けていた。
清が滅びたのは1911年の辛亥革命のときで、日本は明治時代の末。
第4問A-1
解答番号19
正解:3
配点:2
解説:
アは近松門左衛門。
元禄頃の浄瑠璃や歌舞伎の作者で、作品名からもわかる。
井原西鶴も元禄頃の人物だが、浮世草子の作者で、『好色一代男』や『日本永代蔵』などを著した。
イは明。
明は1644年に滅び、その後は清が中国を統一していった。
鄭成功は明の遺臣で、台湾で清に抵抗し続けていた。
清が滅びたのは1911年の辛亥革命のときで、日本は明治時代の末。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号20
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第4問A-2
解答番号20
正解:4
配点:3
解説:
選択肢1
末次平蔵は上方ではなく長崎の豪商。
よって、誤り。
富士川や賀茂川周辺を整備したのは京都の豪商である角倉了以。
選択肢2
大坂で公認されたのは十組問屋ではなく二十四組問屋で、元禄ではなく田沼時代のこと。
よって、誤り。
二十四組問屋は元禄の頃に10組で立ち上げられたが、数を増やし田沼時代に株仲間として認められた。
十組問屋は同じ元禄に江戸で結成され、徳川吉宗のときに公認された。
選択肢3
18世紀後半には銚子や野田(千葉県)の醤油が江戸に入っていた。
よって、誤り。
選択肢4
正しい。
北前船は北海道から日本海を通り、西廻りで大坂に入った船。
第4問A-2
解答番号20
正解:4
配点:3
解説:
選択肢1
末次平蔵は上方ではなく長崎の豪商。
よって、誤り。
富士川や賀茂川周辺を整備したのは京都の豪商である角倉了以。
選択肢2
大坂で公認されたのは十組問屋ではなく二十四組問屋で、元禄ではなく田沼時代のこと。
よって、誤り。
二十四組問屋は元禄の頃に10組で立ち上げられたが、数を増やし田沼時代に株仲間として認められた。
十組問屋は同じ元禄に江戸で結成され、徳川吉宗のときに公認された。
選択肢3
18世紀後半には銚子や野田(千葉県)の醤油が江戸に入っていた。
よって、誤り。
選択肢4
正しい。
北前船は北海道から日本海を通り、西廻りで大坂に入った船。