2017年度 日本史B 本試験 解答番号11

平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第2問B-5
解答番号11

正解:3
配点:3

解説:

選択肢1
正解。
平等院鳳凰堂は藤原頼通によって建てられた。

選択肢2
正解。

選択肢3
定朝の技法は寄木造。
よって、誤り。
一木造は一つの木材から造られたが、寄木造は部品にわけて複数人で造ることができたため効率よく造ることができた。

選択肢4
正解。

2017年度 日本史B 本試験 解答番号12

平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第2問B-6
解答番号12

正解:2
配点:2

解説:

Xは正しい。
公営田は主に9世紀の大宰府管内のものをいう。

Yは誤り。
記録荘園券契所が設置されたのは、1069年の後三条天皇のときの延久の荘園整理令のとき。
10世紀前半は醍醐天皇のときの延喜の荘園整理令で、このときはまだ記録荘園券契所はなかった。

2017年度 日本史B 本試験 解答番号13

平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問A-1
解答番号13

正解:2
配点:2

解説:

Xは正しい。
関東御領は鎌倉幕府の将軍家の直轄領のこと。
その多くは平家没官領や承久の乱で没収した荘園であった。

Yは誤り。
守護の権限である大犯三か条のうち、京都大番役は天皇や上皇の御所を守った。
将軍の御所は鎌倉にあり、それを守ったのは鎌倉番役。

2017年度 日本史B 本試験 解答番号14

平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問A-2
解答番号14

正解:3
配点:3

解説:

大意は次の通り。
重俊の息子の太郎は京方(後鳥羽上皇側)として敵として死去したが、同じ息子の次郎が御方(鎌倉幕府側)として味方になって戦った功績があるので、重俊の地頭職を安堵させよ。

選択肢a
次郎は御方(鎌倉幕府側)として参加したので、誤り。

選択肢b
正しい。

選択肢c
正しい。
この息子は次郎のこと。

選択肢d
地頭職を安堵されているので、誤り。
太郎は後鳥羽上皇に味方したが、次郎の功績の方が評価された。

2017年度 日本史B 本試験 解答番号15

平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第3問A-3
解答番号15

正解:1
配点:3

解説:

I
1325年。
鎌倉時代の末期に火災の被害を受けた建長寺の造営費のため建長寺船が派遣されたとされる。
後醍醐天皇のときの正中の変は1324年のこと。

II
1333年。
雑訴決断所は鎌倉幕府の滅亡後に設置された。
後醍醐天皇の建武の新政における訴訟機関の一つだった。

III
1339年。
『神皇正統記』は、北畠親房が著した歴史書で後醍醐天皇の南朝を正統とした。
1339年に後醍醐天皇が死去し、当初はその子の後村上天皇らのために書かれた。
神代から後村上天皇までの時代が対象となっている。
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