平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-1
解答番号1
正解:2
配点:2
解説:
アは平戸。
イギリスの商館もあるため長崎の出島のことではない。
オランダ商館は平戸にあったが、後に長崎の出島に移された。
イは三別抄。
三別抄は朝鮮半島の高麗の軍で三つの部隊から成る。
朝鮮半島南部でモンゴルに抵抗を続けていた。
按司は琉球の首長や位階の最高位のこと。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号2
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-2
解答番号2
正解:3
配点:3
解説:
選択肢1
高地性集落は縄文時代ではなく、弥生時代からあった。
よって、誤り。
選択肢2
平安時代に海賊を率いて反乱を起こしたのは藤原純友。
よって、誤り。
源経基は藤原純友の乱を平定したほうの人物。
選択肢3
正解。
選択肢4
潮の干満を利用した塩田は入浜式塩田。
よって、誤り。
揚浜式塩田は人力で水をくみ上げていた。
江戸時代に入浜式が広がり、揚浜式はなくなっていった。
第1問A-2
解答番号2
正解:3
配点:3
解説:
選択肢1
高地性集落は縄文時代ではなく、弥生時代からあった。
よって、誤り。
選択肢2
平安時代に海賊を率いて反乱を起こしたのは藤原純友。
よって、誤り。
源経基は藤原純友の乱を平定したほうの人物。
選択肢3
正解。
選択肢4
潮の干満を利用した塩田は入浜式塩田。
よって、誤り。
揚浜式塩田は人力で水をくみ上げていた。
江戸時代に入浜式が広がり、揚浜式はなくなっていった。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号3
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第1問A-3
解答番号3
正解:1
配点:3
解説:
Xは正しい。
高向玄理は7世紀前半に中国の隋へ渡り、隋が滅びて唐に変わってから帰国した。
大化改新で国博士となった。
Yは正しい。
隠元隆琦は中国の明の禅僧で、江戸時代前期に日本に渡って黄檗宗を広めた。
第1問A-3
解答番号3
正解:1
配点:3
解説:
Xは正しい。
高向玄理は7世紀前半に中国の隋へ渡り、隋が滅びて唐に変わってから帰国した。
大化改新で国博士となった。
Yは正しい。
隠元隆琦は中国の明の禅僧で、江戸時代前期に日本に渡って黄檗宗を広めた。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号4
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第1問B-4
解答番号4
正解:1
配点:2
解説:
ウは「石見」または「大森」。
石見銀山(大森銀山)は島根県にあり、温泉津はその積み出しをした港だった。
温泉津も石見銀山とともに世界遺産となった。
エは「新潟」。
日米修好通商条約により開港した港の一つ。
江戸時代は日本海側の港町として栄えていた。
第1問B-4
解答番号4
正解:1
配点:2
解説:
ウは「石見」または「大森」。
石見銀山(大森銀山)は島根県にあり、温泉津はその積み出しをした港だった。
温泉津も石見銀山とともに世界遺産となった。
エは「新潟」。
日米修好通商条約により開港した港の一つ。
江戸時代は日本海側の港町として栄えていた。
2017年度 日本史B 本試験 解答番号5
平成29年度(2017年度)センター試験 日本史B 本試験 解答・解説
第1問B-5
解答番号5
正解:6
配点:3
解説:
I
太平洋戦争の終戦後ということで、1945年以降。
復員軍人とともに引揚げ者も一緒だったことから、敗戦後と推測でき、太平洋戦争のときとわかる。
II
満蒙開拓青少年義勇軍(ポスターは右から読む)は1938年に設立。
満は満州、蒙はこの場合は内蒙古のこと。
満州事変の後から大人による満蒙開拓が始まり、後に青少年も募集された。
日中戦争のときの国民精神総動員運動の一環でもあった。
満蒙開拓で移住した人々は敗戦により、日本へと引き揚げた。
III
日露戦争(1904年から1905年)の頃のもの。
ロシア軍艦と日本海がキーワード。
第1問B-5
解答番号5
正解:6
配点:3
解説:
I
太平洋戦争の終戦後ということで、1945年以降。
復員軍人とともに引揚げ者も一緒だったことから、敗戦後と推測でき、太平洋戦争のときとわかる。
II
満蒙開拓青少年義勇軍(ポスターは右から読む)は1938年に設立。
満は満州、蒙はこの場合は内蒙古のこと。
満州事変の後から大人による満蒙開拓が始まり、後に青少年も募集された。
日中戦争のときの国民精神総動員運動の一環でもあった。
満蒙開拓で移住した人々は敗戦により、日本へと引き揚げた。
III
日露戦争(1904年から1905年)の頃のもの。
ロシア軍艦と日本海がキーワード。