第3問3
解答番号16
正解:2
配点:3
解説:
渤海は698年から926年まで、朝鮮半島北部、中国東北部、ロシアの一部のあたりにあった。
資料1
誤り。
宋(北宋)は960年に成立しているため時期が合わない。
これは『小右記』(藤原実資の日記)の997年の記事。
高麗国は朝鮮半島の高麗のこと。
藤原道長が左大臣のころで、天皇は一条天皇、右大臣は藤原顕光。
このときに越前国などに来ていた宋人たちについても謀略を疑っており、この続きで議論の対象となっていた。(2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」に関連する場面があった。)
資料2
正しい。
聖武天皇とあり、奈良時代であることがわかる。
これは『続日本紀』の759年の記事。
聖武天皇は756年に亡くなっていた。
渤海は高句麗(高麗と表記することもあった。)の遺民が興した国で、高麗とも称していた。
また渤海の建国者は大祚栄で、渤海の王の大欽茂と姓が同じこともヒントとなる。
資料3
誤り。
隋は618年に滅びているため時期が合わない。
これは『日本書紀』の618年の記事。
高麗は高句麗のこと。
隋の煬帝による高句麗遠征について書かれている。
資料4
誤り。
雄略天皇(倭王武とも)は5世紀の人物、百済も660年に滅びているので時期が合わない。
これは『続日本紀』の758年の記事。
高麗は高句麗のこと(記事の時点で高句麗は滅びているが、先祖の話をしている。)
難波薬師奈良は、犬上御田鍬とともに第一回遣唐使となった薬師恵日の子孫。